助け合うこと(2010/05/04)
助け合って生きる世の中
私たちの社会は、様々な人が関係し合い暮らしています。本来、人間は生物的にはあまり強い生き物では
ありません。外敵と戦う鋭い爪や牙を持たず、寒さや外傷から身を守る毛皮も持ちません。器用な手を持ちますが
足は遅く、木に登ったり、土にもぐったりするような特殊な技も持ちません。それでも、自然界で淘汰されずに
残ってこれた理由は、その集団性にあります。他の苦しみを自らの苦しみと感じることのできる想像力が
人間を集団で活動し、社会性を形成し、生き残ってきたわけです。故に、人間は強い社会性を持ちます。
人間を人間足らしめるものは「心」です。他を思いやるこことであれ、他から認められたいと願うことであれ、
人間の人間たる部分をの多くを占めるのは「心」です。古くは人間の生存のために必要だった部分ですが、
現在の先進国では「生存するために必要とする部分」の必要性が薄れています。が、心にはそれが残っています。
弱い者を助けるという心は、人間の社会を形成する重要な部分でした。
助け合うということは
「助け合う」ということは、「助ける」ことだけで成り立ちます。結果的に助けられる人がいるだけで、
考えなくてはならないのは「助けること」だけです。皆が自分のできる範囲で他を助けることで、結果的に
助けを必要としている人が助けられます。重要なのは「結果的に助けられる人も、他を助けようとしていること」
です。自らよりも他を思いやる心があって、初めて助けられる権利があります。
「ギブアンドテイク」という言葉があります。「私はあなたに与えるから、あなたも私にください」ということです。
「私も助けるから、あなたも助けろ」は確かに助け合っていますが、社会全体は良いものになりません。反対に取れば
「助けないなら助けない」ということだからです。
生命保険を考えれば分かります。皆で保険料を出し合い、死亡に備えるわけです。一種の助け合いですが、
保険料を支払う余裕のないものは入ることができないわけです。同じだけを出し合って、同じだけを受け取るという
平等が「ギブアンドテイク」です。
助け合いの本質
助けを必要とする人が、余分に助けを得るためには、誰かが余計に助けを与える人が必要です。損得で言えば
損をする人が居なければならない。損得を考えないことが助け合いの本質です。誰もが損得を考えない。が、
実際には、金銭(や労力)でない部分で報われることがあります。感謝を受けたり、労をねぎらわれたり、栄誉を
得たりなどです、しかしそれが重要なわけではありません。
実態としての利はなくとも、それよりも重要なものを得ることができます。「徳」というものです。
自らを善良に保つために必要な資質を持ち続けることは、得がたいことであると思います。また、私たちの
「心」は人を助けるべく出来ているはずです。

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