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宝津院

静岡県静岡市の禅宗(臨済宗妙心寺派)のお寺です
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般若心経和訳

はじめに

 お経はそれを読むことそのものに功徳があります。そのため、 意味はわからなくてもひたすら読むことを勧めたりもしますが、 その中に書かれていることには当然意味があります。 そして、その内容は優れたことが書かれています。

 般若心経について、その和訳を書きますが、その訳も さまざまなものがあります。できれば、いろいろな訳を読んで いただいて、自分の一番納得できるものを探してみてください。

サボテンの花
(2005/06/13 晴)

心経和訳

摩訶般若波羅蜜多心経
偉大なる智慧の真理を自覚する肝心な教え

観自在菩薩は
深般若波羅蜜多を行する時
五蘊は皆空なりと照見して
一切の苦厄を度せり。
自由に真理を観る眼の開けた菩薩は
その深い英智によって
肉体も精神も、すべて「空」であると達観して
一切の苦悩災厄から免れる

舎利子よ、
色は空に異ならず、
空は色に異ならず、
色は即ち是れ空、
空は即ち是れ色なり。
舎利佛よ、
肉体は「空」を離れては無い
「空」は肉体を離れては無い
肉体はそのまま「空」であり
「空」はそのまま肉体である

受想行識も
また、かくのの如し。
感覚も想念も意欲も、或いは自我という精神組織も
もみなその通りである

舎利子よ、
諸法は空相にして、
生ぜず、滅せず、
垢(よご)れず、浄(きよ)からず、
増さず、減らざるなり。
舎利佛よ、
すべては「空」であるから、
生ずることもなければ、滅することもない
垢(よご)れもしなければ、綺麗にもならない
増えもせねば減りもせん

是の故に空の中には、
色もなく、
受想行識も無く、
だから「空」の中には、
肉体もなく、
感覚も想念も意欲も自我もない

眼耳鼻舌身意も無く、
色声香味触法も無し。
眼も無く、耳も無く、鼻も無く、舌も無く、身も無く、意も無い。
色も無く、声も無く、香も無く、味も無く、
 触れられるものも無く、想われるものも無い

眼界も無く、
乃至(ないし)、意識界も無し。
かつて見た世界も無ければ、
かつて想った世界も無い

無明も無く、、
また、無明の尽くることも無く
盲目的本能も無ければ、
盲目的本能の無くなることもない

乃至(ないし)、老死も無く、
また、老死の尽くることも無し。
また、老死の苦しみも無ければ、
老死の苦の尽きることも無い

苦集滅道も無し。
苦悩も無ければ、苦悩の因である貪愛(とんあい)も無い。
苦悩からの救いも無ければ、そのための修行も無い

智も無く、
また、得も無し。
所得無きを以っての故なり。
知ったというものも無ければ、
得たというものも無い。
本来得られるべき何ものも無いからである

菩提薩(ぼだいさった)は、
般若波羅蜜多に依るが故に、
心にケイ礙(けいげ)無し。
菩薩さまは、
このような徹底した英智に依って、
心中何のこだわりも無い。

ケイ礙(けいげ)無きが故に、
恐怖有ること無し。
こだわりが無いから、恐怖も無い。

一切の顛倒夢想を遠離(おんり)して
究竟涅槃す。
恐怖が無いから、
あらゆる混迷邪見な想念から救われて、
永遠に清寂なる境地を得られる。

三世の諸佛も般若波羅蜜多に依るが故に
阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり。
三世の諸佛も、この偉大な英智に依って、
その尊厳なる普遍的人格を自覚されたのである。

故に知る般若波羅蜜多は、
是れ大神咒なり
是れ大明咒なり
是れ無上咒なり
是れ無等等咒なり
だからこの偉大なる英智こそ
最も神秘的な呪文であり
最も光輝ある呪文であり
地上最高の呪文であり
他に比類なき呪文である。

能く一切の苦を除き、
真実にして虚ならず。
この呪文が世の一切の苦難を排除することは、
まさしく真実であって、
一点の虚妄もない。

故に般若波羅蜜多の咒を説く。
即ち咒を説いて曰く。
ではその偉大なる英知智の呪文を示そう

ギャーテイ、ギャーテイ、ハラギャーテイ
ハラソウギャーテイ、ボジソワカ
この部分が咒です。